エヴァンゲリオン

シン・エヴァ感想「現実(=理不尽)を受け入れて生きる」

シン・エヴァ感想「現実(=理不尽)を受け入れて生きる」

 

はじめに

遅くなったが、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を鑑賞してきた。何よりもまずは、エヴァという素晴らしい作品を創り上げた制作陣の方々にお礼を言いたい。ありがとう。ありがとう、庵野監督。そして、いつも通り自分勝手にあれこれ解釈していく。批判は歓迎しよう。全て、筆者の全開のATフィールドで受け止めさせて頂く。

 

「新」劇場版のメッセージ

アニメ版・旧劇のテーマに「オタクからの解放」が含まれていたことは、多くのファンが指摘する通りである。自分が傷つくことを受け入れ、他者の存在(=ATフィールドのある世界)を望んだのが、アニメ版・旧劇のラストだ。それはつまり、「オタク達よ。傷つくことを恐れず、社会と関わって生きていけ」という庵野監督のメッセージであった。しかし、世間はどう変わっただろうか。庵野監督の思いとは裏腹に、むしろエヴァはオタク文化を盛り上げる結果となった。オタク達は、綾波やアスカのオタクグッズを自室に飾り、ますます社会との溝を大きくしていった。

だからこそ庵野監督は、「オタクからの解放」を改めてサジェストしたかったのだと、筆者は考えている。新劇場版は、アニメ版・旧劇が果たせなかったテーマをやり直すための物語である。では、アニメ版・旧劇に足りなかった要素は何だったのだろうか。

 

旧劇:アスカ「気持ち悪い」の解釈

アニメ版・旧劇のラストは、シンジ君が自分で勝手に悩んで、最終的には自分自身で解決している。あくまでシンジ君の内側でストーリーが完結している、オナニーにすぎないのだ。筆者は「シン」を見終わって、ようやく旧劇のラストにアスカが放った「気持ち悪い」という台詞の意味が分かった気がする。あの台詞は、勝手に悩んで、勝手に自己完結したシンジ君のオナニー的行為に「気持ち悪い」と言ったのだ。旧劇のラストで、ATフィールドのある世界を受け入れたはずのシンジ君が、何故かアスカの首を絞めようとした。これをハッピーエンドと解釈するから、旧劇のラストが呑み込めないのだ。自己完結によって出した答えでは、シンジ君は“成長”が不十分だったと捉えられる。新劇を見終わって、筆者は長年の疑問の答えを見つけたように思う。では、アニメ版・旧劇において、不足していたもの何だったのだろうか。

庵野監督 「寝てる時に男が君を見て、いつでも襲える状況なのに、オナニーしていたらどう思う?」

宮村(アスカの声優)「気持ち悪いですかね」

→この会話から、「気持ち悪い」という台詞が生まれたと、宮村さん自身が語っている。

旧・新の比較:現実という理不尽の提供

新劇にあって、アニメ版・旧劇に無かったものは、一体何だっただろうか。それは、“現実”である。「破」のラストでシンジ君がサードインパクトを起こしかけたとき、アニメ版・旧劇であれば、そのままサードインパクトが発生し、シンジ君が元の世界を望んでフィナーレとなるはずであった。しかし、新劇はここで大きく物語を転換させる。「破」の続きである「Q」が提示したのが、どうしようもない“現実”だ。「Q」を見た筆者は、シンジ君があまりに可哀そうに感じた。シンジ君は、ただ綾波を助けたかっただけだ。あの悲劇は、シンジ君が故意に起こした訳ではない。シンジ君に責任はないのだ。結果として、多くの人を傷つけてしまったが、、。

然し、僕らの身の回りにある実際の現実というのは、畢竟理不尽なものではないだろうか。生まれながらに貧富の差はあるし、容姿の良い奴が異性からモテる。会社では嫌な上司と働かなくてはならない、、、。

アニメ版・旧劇のメッセージを受け取り、社会に出たオタク達は、どうなったのだろうか。おそらく上手くいかなかったはずだ。なぜなら、アニメ版・旧劇のシンジ君は自己完結しかしていない。圧倒的な理不尽を与えてくる現実に対しての向き合い方を教えてはくれなかったからだ。セックスの方法は、オナニーでは学べない。社会に出たオタク達は、旧劇のラストで、シンジ君がアスカの首を絞めたように、再びオタクの道へ戻ったのではないだろうか。

 

現実(=理不尽)を受け入れて生きる

現実という理不尽に絶望したシンジ君を立ち直らせたのは、第三村での暮らしであった。シンジ君は、ニアサードインパクトという圧倒的な理不尽に襲われながらも、必死に今を生きているトウジやケンスケ達から、現実との向き合い方を学び取っていく。現実という理不尽との向き合い方について、本作品が出した答えは何か。それは、現実(=理不尽)を認めることだ。現実に傷つく自分という存在を受け入れることだ。現実を前にして、いじけて、三角座りをして泣いていても、何も解決することはない。例え自分に責任がなくても、起きてしまった現実を受け入れ、前に進んでいくこと。これが、大人になるということだ。

トウジ 「ニアサードインパクトの後、必死に生きてきた。人に言えないこともした。受け入れるしか、大人になるしかなかったんや。・・・・医者と名乗りながら、やっていることは独学でしかない。助けられんかった命もいっぱいある。でも、ワシは助けられんかった命とも向き合わないといかん。それがせめてもの贖罪、ワシの責任や。」(原文意訳)

 

ニートを辞めて、現実を生きろ。

筆者は、映画、本、漫画が好きだ。現実を生きる上で、上手くいかない自分、傷つく自分を救う答えがあると思ってきたからだ。エヴァにおいても、シンジ君に自分自身を投影させ、彼の成長を必死に解釈してきた。しかし、映画を見て、何かわかったような気になって、自己完結(オナニー)していても、何も成長しないのだ。現実と向き合え(セックスをしろ)。それが、庵野監督が描いたメッセージだと思う。

オタク達よ。親が悪い、社会が悪い、運が悪かったのかもしれない。同情はできる。しかし、そう言って自分の殻に閉じこもっていても仕方ないのだ。現実を受け入れて生きろ。傷ついてもいい。もう一度、社会へ出ようではないか。

 

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